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高野秀行 (棋士) : ミニ英和和英辞書
高野秀行 (棋士)[たかの ひでゆき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 
棋士 : [きし]
 【名詞】 1. shogi player 

高野秀行 (棋士) : ウィキペディア日本語版
高野秀行 (棋士)[たかの ひでゆき]

野 秀行(たかの ひでゆき、1972年6月15日 - )は、将棋棋士中原誠十六世名人門下。棋士番号は226。神奈川県横浜市出身。
== 棋歴 ==
7、8歳の頃、父から教わり将棋を始める〔平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)〕。その後、日本将棋連盟相模原支部長の内田昭吉の自宅教室で、鈴木大介北浜健介勝又清和佐藤紳哉らとともに腕を磨く〔「将棋世界」(日本将棋連盟)2000年1月号付録〕。1983年、11歳の頃、4歳上の勝又が中学生名人戦で優勝して奨励会入りしたのを機に、プロを志す〔。
1984年12月、中原誠(当時十段王座)の弟子となり関東奨励会に6級で入会。同期には深浦康市瀬川晶司ら。
プロ入りまでの道は平坦ではなく、入会から6か月後の1985年6月に7級に降級。1986年3月にやっと6級復帰。2級から1級、初段から二段には、それぞれ1年9か月かかる。一方で、5級から4級には2か月、二段から三段には4か月というラッシュがあった。
三段リーグでは、初参加から9期目の第22回三段リーグで、前半を5勝4敗で折り返した後に粘り13勝5敗・1位の成績を収め、四段昇段が決定。入会から13年にしてプロ入りを果たす(1998年4月1日付)。
2000年、第50回NHK杯戦の予選を3連勝で通過。本戦1回戦で井上慶太を破る。
第16期(2003年度)竜王戦6組で優勝し、本戦進出、5組初昇級。2003年度の勝率は0.6944(25勝11敗)で全棋士中9位であった。
第30期(2004年度)棋王戦で本戦進出。予選決勝では渡辺明(この年に初の竜王位)に勝った。同年、第17期竜王戦5組昇級者決定戦(敗者復活戦)で、勝てば4組初昇級という一番で宮田敦史に敗れる。
2005年、第24回朝日オープン将棋選手権で本戦進出。1回戦で師匠の中原に敗れる。
2005年に行われた瀬川晶司プロ編入試験の試験官(対局者)を当初発表されていた熊坂学四段(段位は当時)に代わり務める。交代について野は、「不手際で、せっかく進めてきたイベントに支障が出るのを防ぎたかった」と語っている〔「将棋世界」2007年10月号『感想戦後の感想』〕。2005年11月6日、瀬川は野に勝ち、プロ入りを決めた。
2007年、第57回NHK杯戦で本戦出場。
第66期(2007年度)順位戦C級2組で8勝2敗・3位の成績を挙げ、プロ入りから10年でC級1組へ初昇級。過去にも8勝2敗が2度あったが上がれず、三度目の正直となった。
第34期(2008年度)棋王戦で本戦進出。本戦2回戦で高橋道雄を破る。
2011年2月22日、五段昇段後120勝により六段昇段(通算220勝192敗)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高野秀行 (棋士)」の詳細全文を読む




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